大阪地方裁判所 平成11年(モ)5859号 決定 1999年9月21日
申立人(被告) 株式会社ナム
右代表者代表取締役 尾形文弘
右訴訟代理人弁護士 古田隆規
同 武井康年
同 小田清和
同 坂本彰男
同 秋田智佳子
相手方(原告) 上村一郎
右訴訟代理人弁護士 小松陽一郎
同 池下利男
同 村田秀人
主文
本件申立てを却下する。
理由
一 申立ての趣旨及び当事者の主張の概要
1 本件移送申立ての趣旨は、「本件を広島地方裁判所に移送する」ことを求めるものであり、申立ての理由の概要は次のとおりである。
(一) 民事訴訟法一六条一項に基づく主張
本件訴訟は、相手方・申立人間で締結された相手方の有する六件の特許権(以下併せて「本件特許権」といい、それらの発明を併せて「本件発明」という。)の専用実施権設定契約(以下「本件契約」といい、その締結に際して作成された契約書〔甲7〕を「本件契約書」という。)の解除を理由とする専用実施権設定登録抹消登録手続等を請求するものであるが、民事訴訟法六条の「特許権に関する訴訟」とは、特許権侵害の有無についての訴訟をいうものであるから、本件訴訟に同条の適用はない。
また、実質的にみても、同条の趣旨は、特許権に関する訴訟では当該特許分野における専門的な技術的事項の理解や自然科学の知識が求められることから、それに対応した専門部を設けている東京地方裁判所と大阪地方裁判所にも管轄権を認めたものであるところ、本件訴訟の争点は、本件契約の解除原因を規定した本件契約書一八条にいう「本契約締結の日から三年を経過しても甲(申立人)が本件発明のうちいずれの実施品の製造・販売をもしないとき及び甲(申立人)が第三者に対し実施権の許諾を一件もしないとき」との要件が満たされたか否かであるから、その争点の審理判断について、専門技術的事項の理解や特別のノウハウは必要がない。したがって、実質的にも本件訴訟に民事訴訟法六条は適用される理由がない。
そうすると、本件訴訟の管轄は大阪地方裁判所には存しないことになるから、本件訴訟は、申立人の普通裁判籍の所在地である広島地方裁判所に移送すべきである。
(二) 民事訴訟法一七条に基づく主張
本件訴訟においては、相手方及び申立人の住所はいずれも広島市内であり、関係証人の多くも広島市に在住している。これらの者が大阪地方裁判所に出頭しなければならないとすれば、申立人としては出張のために多大な出費を強いられて当事者間の衡平を欠く上、出頭確保の困難から訴訟が著しく遅延するおそれがある。
また、申立人は、相手方に対し、本件特許権のうちの専用実施権設定登録を経ていないものについて、本件契約に基づき専用実施権設定登録手続を請求する事件を広島地方裁判所に提起した(同裁判所平成一一年(ワ)第一一四八号事件)から、本件訴訟も同裁判所で審理することが審理の都合上も望ましい。
したがって、本件訴訟を広島地方裁判所に移送すべきである。
2 これに対する相手方の主張は次のとおりである。
(一) 民事訴訟法一六条一項に基づく主張について
民事訴訟法六条の「特許権等に関する訴え」とは、専用実施権の設定の有無、帰属に関する訴訟のように、特許権等と密接に関連した訴えも含まれると解すべきであるから、本件訴訟にも同条の適用がある。
また、実質的に見ても、申立人主張の本件契約の解除原因の発生の有無を審理判断するためには、専用実施権に基づく実施品の開発程度や実施の有無といった論点が俎上に上る可能性もあるから、実質的にも同法六条の適用が認められるべきである。
したがって、本件訴訟は、同法六条により、大阪地方裁判所に管轄が生じるから、同法一六条一項に基づく申立人の主張は理由がない。
(二) 民事訴訟法一七条に基づく主張について
前記のとおり、本件訴訟では、専用実施権に基づく実施品の開発程度や実施の有無といった論点が俎上に上る可能性もあるから、大阪地方裁判所で審理することがむしろ審理の促進に資する。また、広島と大阪とでは、距離的、時間的及び交通手段的に見ても、当事者間の衡平を欠くほどの負担が生じるとはいえないし、電話会議等の方法による審理も可能である。また、広島地方裁判所に提起された別件訴訟は、本件訴訟が提起された後に提起されたものである。
したがって、民事訴訟法一七条に基づく申立人の主張は理由がない。
二 判断
1 本件訴訟の概要
(一) 本件訴訟は、相手方が有する「円錐転がり等歯厚傘歯車装置及び同装置の加工方法」等の六件の特許権(本件特許権)について、相手方と申立人の間に締結された専用実施権設定契約(本件契約)が解除されたことを理由に、相手方が申立人に対し、既に専用実施権設定登録がなされた五件の特許権については右登録の抹消登録手続を、専用実施権設定登録を経ていない一件の特許権については、申立人が実施権を有しないことの確認をそれぞれ求めた事件である。
そして、相手方が主張する解除原因は、本件契約書一八条によるものであり、同条には、「本契約締結の日から三年を経過しても甲(申立人)が本件発明のうちいずれの実施品の製造・販売をもしないとき及び甲(申立人)が第三者に対し実施権の許諾を一件もしないときは、乙(相手方)はこの契約を解除し、本件専用実施権及び本件独占的実施権を終了、消滅させることができる。この場合、甲(申立人)は、直ちに本件専用実施権消滅の登録手続をするものとする。」と規定されている(甲7)。
(二) これに対して、申立人は、本件契約の成立を認みた上で、申立人は、本件契約締結の日(平成七年七月一日)から三年以内の間に、ナムコンシリンダーなど相手方の発明に係るコリオリギア技術を使用した商品を製造の上、松下電器産業株式会社等に販売し、一五五二万三二〇〇円の売上げを得たとして、本件契約書一八条に定める解除事由の発生を争っている。
(三) 申立人の右主張に対して、相手方は、被告が製造・販売したとする製品は試作品にすぎず、本件発明の実施品とはいえないと主張し、この点をめぐっては、本件発明の技術的内容の理解、開発の程度、実施の有無という技術的事項に関連する点が争点となると主張しているが、申立人は、前記契約条項の趣旨を勘案して、申立人が製造・販売した製品が本件発明の実施品であるか否かは、同製品が同規定の趣旨を具現化しようとするものであるか否かによって判断すべきであり、その審理判断に専門的判断は不要であると主張している。
(四) なお、申立人は、本件訴訟提起(平成一一年七月一六日)後の同年八月に、相手方を被告として、専用実施権設定登録を経ていない一件の特許権について、右設定登録手続を請求する訴訟を広島地方裁判所に提起した。
2 民事訴訟法一六条一項に基づく移送について
民事訴訟法六条は、特許権、実用新案権、回路配置利用権又はプログラム著作物についての著作者の権利に関する訴えについて、名古屋高等裁判所の管轄区域以東の高等裁判所の管轄区域内に存する地方裁判所が管轄権を有する場合には東京地方裁判所にも、大阪高等裁判所の管轄区域以西の高等裁判所の管轄区域内に存する地方裁判所が管轄権を有する場合には、大阪地方裁判所にも訴えを提起することができる旨を規定しているが、この規定は、右のような特許権等に関する訴えの場合には、その審理判断に高度の専門技術的知識を要することが多く、審理の円滑な進行のためには通常の民事事件とは異なるノウハウや経験の蓄積も必要であることから、知的財産権訴訟を取り扱う専門部が設けられ、専門技術的知識を有する裁判所調査官も配置されている東京地方裁判所及び大阪地方裁判所にも競合的に管轄権を付与することにより、これらの訴訟の審理の充実と促進を図ったものである。
このような高度の専門技術的知識を要する事件の典型例は、申立人が指摘するような特許権侵害を理由とする差止めや損害賠償請求等の訴えであり、この場合には、侵害と主張された製品や方法が特許発明の技術的範囲に属するか否かが重要な争点となり、その審理判断のためには高度の専門技術的知識を要し、また、円滑な審理のためには、特許権侵害訴訟特有のノウハウや経験の蓄積があることが望ましいものといえる。しかし、このような訴えに限らず、特許権又はそれに準じる特許法上の権利の存否、帰属等に関わる訴えのように、特許権と密接に関連する訴えの場合には、その審理判断に専門技術的知識が必要とされる可能性が類型的に存在する。例えば、本件のように専用実施権の設定を受けた者が約定どおりに実施品を製造・販売したか否かが争点となる場合には、実際に製造・販売された製品が特許発明の実施品と評価し得るものか否かが重要な事実となると考えられ、そのためには、特許発明の内容のほか、実際に製造・販売された製品の構造や性能等を理解できる専門技術的知識が必要となる可能性が高い。
そして、裁判所の管轄権の有無は、訴えの提起の時を標準として定める(民事訴訟法一五条)のであって、被告の応訴態度等に応じた具体的な争点の状況によっていったん生じた管轄権の有無が変動することはないから、管轄権の有無を事案の具体的な内容によって判断することはできない。このように、裁判所の管轄権の有無は、訴え提起の時点での当該訴えの一般的性質から判断すべきものである。
以上に述べたことからすれば、特許権又はそれに準じる特許法上の権利の侵害の成否、存否、帰属等に関わる訴えのように、特許権と密接に関連する訴えの場合には、その審理判断に専門技術的知識が必要とされる可能性が常に存在するという一般的性質から、民事訴訟法六条にいう「特許権に関する訴え」に含まれると解するのが相当である。
もっとも、これらの特許権に関する訴えであっても、具体的な事件の内容次第では、審理判断のために専門技術的知識や特段のノウハウが必要とされない場合も考えられる。しかし、民事訴訟法六条によって大阪地方裁判所又は東京地方裁判所に管轄権が生じた場合であっても、争点の状況等の個別具体的な事情によっては、同法一七条により他の管轄裁判所に移送することによって、事案に応じた措置をとることが可能である。
そして、本件訴訟は、前記のとおり、特許権の専用実施権の設定登録抹消登録手続請求と実施権不存在確認の訴えが併合されたものであり、特許権に準じる特許法上の権利に密接に関連する訴えであるといえるから、民事訴訟法六条により、大阪地方裁判所に管轄権が生じる。したがって、同法一六条一項に基づく申立人の主張は理由がない。
3 民事訴訟法一七条に基づく移送について
1によれば、現時点で予想される本件訴訟の争点は、申立人が本件契約で定められた期間内に本件発明の実施品を製造・販売したかという点にあると認められるが、さらに詳細に見れば、①申立人が何らかの装置を製造・販売したか、②右装置は本件発明の実施品か、③申立人による右装置の開発、製造・販売の態様が、本件契約書一八条に定める本件発明の実施品の製造・販売と評価し得る態様のものかの三点が、実質的な争点になるものと考えられる。
ところで、本件訴訟の審理を進める上では、これらの争点について、相手方及び申立人双方の関係者の証人尋問等を行うことが予想されるところ、これらの関係者はいずれも広島市又はその付近に居住していると認められる。したがって、証人尋問等を考える限りは、本件訴訟を大阪地方裁判所で審理することは必ずしも便宜とはいえない。しかし、右②及び③の点を審理判断するに当たっては、本件発明の内容や、申立人が製造・販売した装置と本件発明との関係について、十分な理解をもって審理を行う必要があるから、これらの点の審理については、大阪地方裁判所で行うことが審理の充実と促進に資するものと考えられ、このことは民事訴訟法六条が想定するところでもある。この点に加え、大阪と広島との間の交通が不便とはいえないこと、民事訴訟における人証調べについては、集中証拠調べ(民事訴訟法一八二条)が定着してきていることを併せ考慮すれば、本件を大阪地方裁判所で審理することが、訴訟の著しい遅滞を生じるとは認められない。
また、大阪と広島との場所的、時間的距離や交通の便、現行民事訴訟法の下では電話会議システム等による多様な審理方式を採用し得ることに照らせば、本件を大阪地方裁判所で審理することが当事者間の衡平を害するとも認められない。なお、申立人が広島地方裁判所に提起した事件は、実質的に本件訴訟と表裏の関係にあるといえるが、訴え提起の時期は本件訴訟の方が早いから、別件訴訟の係属を理由に本件を大阪地方裁判所で審理することが当事者間の衡平に反するともいえない(ちなみに、相手方は移送申立てに対する意見書において、別件訴訟について大阪地方裁判所への移送の申立てをする旨表明している。)。
したがって、民事訴訟法一七条に基づく申立人の主張も理由がない。
4 よって、申立人の申立ては理由がないから却下することとし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 小松一雄 裁判官 高松宏之 安永武央)